茶道をお稽古するにあたり、基本的なこととして押さえておきたいことを、ざっくりとまとめました。
茶の湯のはじまり
能阿弥(のうあみ)
能阿弥(1397~1471)が、八代将軍足利義政にお茶を差し上げるために、最初の茶の湯の点前を確立したといわれております。
能阿弥は、水墨画家として有名ですが、義政の同朋衆(雑務、芸能担当)として、足利家の収蔵品である東山御物の鑑定評価と整理をしておりました。
武野紹鷗(たけのじょうおう)
武野紹鷗(1502~1555)は、堺の豪商で、千利休はその弟子になります。
千利休が茶道を確立した、と現代では一般に知られていますが、利休が武野紹鷗の弟子ということを考えても、既に武野紹鷗でいったん茶の湯は確立されており、
利休の「草庵茶湯」に対し、「数寄茶湯」と言われています。
参考文献「一億人の茶道教養講座」
千利休
千利休(1522~1591)は、武野紹鷗の弟子ですが、紹鷗の確立した数寄茶湯をもとに、様々な工夫を凝らして「草庵茶湯」を確立しました。
現在、茶道には裏千家、表千家を始め、武者小路千家、等様々な流派がありますが、その全ての祖先は千利休となります。
茶道の流派
茶道の流派は沢山あります。
これら全部、もとをたどれば千利休になります。表千家、裏千家、武者小路千家、小堀遠州、、、、など、その他にも沢山あり、それぞれちょっとした作法に違いがあります。
三千家
沢山ある流派のうち、
裏千家、表千家、武者小路千家、この3つを三千家といいます。これらは、千利休からの血統で維持されており、
利休→少庵(しょうあん)→宗旦(そうたん) と、ここまで共通しており、
利休の孫にあたる宗旦で、三千家(裏千家、表千家、武者小路千家)に分かれました。
抑えておきたい茶道関連用語
数寄って?
茶の湯のこと。数寄者は、茶の湯に熱心な人のこと。